TBUAとは

 熱傷は突発的に誰にでも起こり得る外傷ですが、重症患者においては、その治療に高い専門性が要求されます。1980年(昭和55年)8月に新宿駅西口バス放火事件、1982年(昭和57年)2月に赤坂のホテルニュージャパン火災があり重症の熱傷患者が集団発生しました。しかし、当時は重症熱傷患者をいつでも治療できる熱傷専門医療施設が非常に少なく、収容施設を探すことが困難な状況が生じました。
 このようなことを契機に東京都は「東京都における熱傷医療体制のあり方とその供給体制の整備方法について」検討しました。その結果関係医療機関に熱傷ユニット設備の整備を要請するとともに、1982年(昭和57年)10月に東京都、東京都医師会、東京消防庁および熱傷ユニット設備を有する7つの医療施設が参画して、全国初の試みとして「東京都熱傷救急連絡会」が発足しました。その後参画施設も増え、現在では14の医療施設が参加する熱傷救急ネットワークとして機能しています。
 東京都熱傷救急連絡会は定期的な会合で運営体制を協議するとともに、参画する全ての施設で取り扱った熱傷患者データを検証して蓄積しています。そのデータの解析から得られた情報は全国に発信されるとともに、学会や学術論文としても発表され、熱傷の治療・予防に貢献しています。2004年に横浜で開催された第12回国際熱傷学会では環太平洋の大都市(シアトル、ロサンゼルス、ブリスベーン、シンガポール、台北、東京)の熱傷患者の解析を討議するシンポジウムが開かれ、東京都熱傷救急連絡会のデータが発表され、その成果は国際熱傷学会の機関誌BURNSにも学術論文として掲載されました。
 また、東京スキンバンクネットワークは東京都熱傷救急連絡会参画施設を中心に設立され、現在ではNPO日本スキンバンクネットワークとして全国で発生した重症熱傷患者の治療のために同種皮膚を供給できるシステムに発展し、救命率向上に大きく貢献しています。